リーマンショックにより背負った借金4,000万円。自己破産で借金周りを解決して得た幸せな生活

薄紅薔薇さん(53歳 在宅ワーカー 女性 福岡県)からいただいた債務整理体験談です。

薄紅薔薇さんは28歳で年上のIT会社に勤める男性と結婚し、子供二人に恵まれながら幸せな生活を送っていました

しかし、住宅ローンを組んでマンションを購入したと同時に、不幸にもリーマンショックに遭ってしまいます。

そこから幸せだった生活は一変。

借金やローンの返済に追われ、育児に追われ、ついには夫がうつ病にかかってしまいます。

残っていたのは、払えなくなったローンと新たに借り入れた借金合わせて約4,000万円という莫大な借金でした。

仕方なく、自己破産を申請して借金問題は無くなりますが…。

リーマンショックによって壮絶な日々を過ごした薄紅薔薇さんの貴重な体験談を投稿いただきました。

みんなの債務整理体験談メモ

お名前:薄紅薔薇さん(仮名)
性別:女性(53歳)
職業:在宅ワーカー
地域:福岡県
債務整理方法:自己破産
借金の原因:無理な一戸建ての購入と、主人の仕事がなくなったため
債務整理時の借金総額:約4,000万円

債務整理体験談
幸せだった結婚生活がリーマンショックで住宅ローンが払えなくなり…

住宅ローンが払えなくなり自己破産

この度はタイトルの通り、我が家の歩みをご紹介したいと思います。

12歳上の主人と結婚し幸せな生活を送っていた

28歳でIT系の会社に同じ日に採用された12歳上の主人と結婚。

30歳で長男を出産、家賃9万円で3LDKの賃貸マンションで幸せに暮らしていました。

主人は結婚前に会社を辞めて、自営業のシステムエンジニアとして独立しました。

会社を辞めた理由は、昇進し部長代理になり、電話で無理難題を押し付けてくるクライアントの対応に追われ疲弊し、ある日突然電車に乗れなくなってしまったのです。

本人はパニック障害を知らず、精神科にもいかず、会社を辞めてしまい、自宅で自営業をやるしかなくなってしまったのです。

当時私は会社を辞め、パソコンショップで働いていましたが、深夜までの残業・7年付き合った彼氏との別れ等で、やはり、精神的に苦しい状況でした。

そんな時、主人が、たびたび店に買い物にきてくれては、近況を話すようになりました。

そして、主人から「大きな仕事が入ったから、店を辞めて手伝ってくれないか?」と誘われ、OKしました。

主人のワンルームのアパートに通って、仕事を手伝い、近所で一緒に食事するなど、2人の仲は急速に深まっていきました。

難しかった仕事も2人で力を合わせ、無事納品できました。

そして、主人から結婚を申し込まれ、電撃結婚することになったのです。

主人の仕事も順調・長男は可愛くて、順風満帆だったのですが、ある日新聞の折り込みチラシでマンションの購入プランを私が読み、主人に「家賃9万も払っているから、同じ位の額でマンション買えそうだけどどう?」と持ち掛けましたが、主人は高所恐怖症で「マンションは嫌だ!絶対一戸建てがいい」と言うので、休日に家探しを数か月して、都心のベッドタウンのこの町に、月12万円の住宅ローン(貯金はありましたが、頭金なし)で一戸建てを購入したのです。

この町に決めた理由は、主人の得意先が3社あったからです。

引っ越した途端にリーマンショックの影響で借金生活に

ところが、引っ越したとたんに3社ともリーマンショックで倒産してしまい、主人は大事な得意先を3社失いました。

それでも、知人・友人に頼んで仕事をもらい、6年くらいは何とか住宅ローンを払えていました。

しかし、主人の技術自体が時代に遅れたものとなっていき、仕事が少なく、住宅ローンに加えて、銀行で数百万のローンを組みました。

貯金も底をついていて、そのころ次男を出産しましたが、産婦人科に支払う費用を主人の実家に出してもらうありさまでした。

次男が3か月になるとすぐに保育園に次男を預かってもらい、私もパートで働きましたが、月7万くらいではまったく追いつきません。

そんな折、長男が近所のお友達にひじの骨折という大けがをさせてしまい、私の名義で20万円消費者金融から借金して、治療費と慰謝料にあてました。

住宅ローンが支払えずに自己破産しかなくなる

ある日仕事から帰ると、いつも仕事部屋でパソコンに向かっていた主人が、ソファーに横になっていて、「もうだめだ。借金で首が回らない」と言ったので、私は「この家いらない。売ろうよ!」と言いました。

しかし時すでに遅く、住宅ローンの引き落としがとうとうできず、自己破産しか道がなくなりました。

私の両親は若く他界しており、主人の両親からは100万以上出してもらっていたので、親類縁者に甘えることもできませんでした。

主人の借金の保証人は、私でした。

自己破産と同時に、生活保護を受けることになり、2台あった車は売却しなければなりませんでした。

主人の状態を見て、おかしいと思ったので、精神科に連れて行ったところ、うつ病と診断されました。

救いだったのは、家が売れるまでは住んでいなければならないという条件があり、1年半ほどかかりました。

主人がうつ病と診断されたので、主人を休ませなければと思い、生活保護でしたが、次男を保育園にあずかってもらうために、私は急いで仕事を探しました。

母親が働いていないと保育園はやめなくてはならなかったからです。

主人の代わりに働くも身体を壊し過労認定

そして、日払い可能な派遣会社に登録し、「どんな仕事でもいいです」と言ったら、それまでパソコンの仕事しかやったことのなかった私にはつらい体力仕事が待っていました。

バスの乗り換えの便が悪い職場に派遣され、初めは倉庫のピッキングの仕事でくたくたになって帰り、家事をする毎日でした。

半年ほどで、パソコンの経験を買われ同じ会社の事務に回されましたが、夕方5時半までの就労だったので、帰りのバスがなく、福祉事務所のケースワーカーさんに相談して、中古のスクーターを買ってもらって、通勤しました。

真冬のバイク通勤は時間はかかりませんが、とても寒くて副鼻腔炎になりました。

そんな折、息子2人がインフルエンザになりましたが、事務所のお局様が休むと後が怖いので、主人に子供たちを見てもらって仕事に行きました。

すると、仕事中にだるくてしんどくて仕方なかったのですが、お局様が怖くて言えず、仕事上がりに熱を測ると38度ありました。

副鼻腔炎でかかっていた耳鼻科にいったところ、「インフルエンザは陰性です。あなたは過労ですよ」と言われてしまい、仕事を辞める決心がつきました。

次男は保育園を辞めて、家で見ることにしました。

保育士さんが涙を流して「お母さん大丈夫ですか?」と言ってくれました。

そして待っていたのは、家を早く売るために、散らかって物の多い家の片づけでしたが、車がないのでチャイルドシートやベビーカーなどはヤフオクで売ったりしました。

しかし、当時2歳でいたずら盛りの次男がいて、片付けが思うようにできずに居ました。

そんな家は何組か見に来られましたが、なかなか売れませんでした。

ある日、次男がいたずらしてボロボロだった障子を張り替えたところ、すぐに家が売れました。

家が売れて引っ越しに苦労するも新たな新生活

買い手の方と契約を交わし、不動産会社の費用負担で引っ越すことになりました。

小学生だった長男を転校させるのがかわいそうだったので、校区内の2LDKのアパートに引っ越すことになりました。

家具などはリサイクル業者に引き取ってもらいましたが、10万くらいで買ったダイニングテーブルとイスも100円で買い取られていきました。

家は6LDKだったので、思うように片付けができないまま引っ越しとなり、業者さんに「ゴミ屋敷やんか」と言われてしまいました。

ショックでした。

ピッキングの仕事の頃から私はだんだんお酒を飲むようになりました。

家に帰ると、くたくたの体で安い缶チューハイを飲みながら、洗濯・炊事をしていました。

出勤すると「お酒臭いですよ」と注意されたこともあります。

そして、引っ越しのショックで私は食事があまり取れなくなり、お酒ばかり飲んで、どんどん痩せて38キロになったときに、主人に病院に連れていかれ、「アルコール依存とうつ病です」と診断され、薬を処方され月一回主人と一緒に通院するようになりました。

私も主人もうつ病なので、次男は再び保育園に通えることになりました。

送迎は主人が自転車でしてくれました。

数年後、長男が高校受験の時に、ゲームばかりで勉強しない長男を私が叱っていたら、主人が「僕が勉強を教えるから」と言いました。

長男が学校に行っている間に、事前準備を中古パソコンでしておき、長男に教える日々が続き、見事長男は公立の工業高校に合格できました。

生活保護では、私立の学校の場合、学費が出ないので、公立しか行かせられなかったのです。

主人が躁うつ病にかかってしまい辛い生活の日々

しかし、頭を使いすぎたせいだと本人は言っていましたが、主人は躁うつ病になってしまいました。

躁状態の時は夜も眠らず、パソコンに向かったり、私にしゃべり続けたりが始まりました。

躁うつ病の特効薬は塩酸リチウムと言いますが「電池の材料なんか飲めるか!」と言って、主人は薬を飲まなくなり、医師のいうことも聞かなくなりました。

本人にしてみれば躁状態は気分もハイで、気持ちよかったので、薬で抑えられるのを嫌がりました。

結果主人はモラハラ夫となっていきました。

もとは温厚で優しい人柄だったのに、病気が人を変えてしまったのです。

そのうえ、長年筋弛緩作用がある向精神薬を飲み続けたせいと、もともと胃が弱かったので、重い逆流性食道炎になってしまいました。

薬も効かず、手術しかないと言われましたが、高所恐怖症なので、病院の3階に試しに行ってみると気分が悪くなってしまい、入院もできませんでした。

うつ状態の時は、横になると胃酸が上がってくるので、昼間はじっと椅子に座っているしかなくつらそうでしたが、躁状態の時は不思議と元気で、モラハラもひどかったです。

長男は高卒で、大手の会社に見事就職し、1年半自宅から通勤しましたが、収入の関係で一人暮らしすることになりました。

私のアルコール依存は、ある日急に「お酒なんてもういらないや」と思えて、きっぱりやめられました。

それでも主人のモラハラは続き、次男を学校に送り出して、2人きりになる昼間は私は寝逃げしていました。

主人がうつ状態の時は「自分はいらない人間だ。死にたい」というようになり、何度か睡眠薬をたくさん飲んでは、救急車で運ばれることを繰り返して、

私が寝ている間に、ある方法で自死してしまいました。

生活保護なので、福祉葬で費用は保護費から出されました。

皮肉にも、モラハラがなくなったので、私のうつはどんどん良くなって、減薬中です。

借金生活から抜け出し今は生活保護で幸せに暮らしている

生前主人が町営住宅に応募して、くじに当たり、3LDKの部屋に暮らしています。

次男は軽い障がいがありますが、家事をよく手伝ってくれて、主人の教わったパソコンの操作も得意で、将来有望です。

現在は毎日2人で夕食前に読経して、主人の御霊の安寧を祈り、母子仲良く暮らせていて幸せです。

主人が残してくれた遺族年金が、生活保護費をほぼ満たしている状態です。

こんなふうにして、借金地獄から我が家は生活保護という形で、幸せに暮らせています。

生活保護は車が持てませんが、車の所持費用を考えると、バスやタクシーで移動する方が安上がりだと思います。

ここまで読んで下さり、ありがとうございました。

薄紅薔薇さん(53歳 在宅ワーカー 女性 福岡県)


薄紅薔薇さんの借金内訳と債務整理後の状況

薄紅薔薇さんの借金の内訳と債務整理を行ったことでどのように状況が好転したかを見てみましょう。

借金内訳

借金総額:約4,000万円
銀行:
住宅ローン:約3,500万円(月12万円x30年)
福岡CITY銀行:約500万円
借金開始から債務整理着手までの期間:3年ほど

債務整理後の状況

残債務:残債なし
返済計画:自己破産費用:2万円(10ヶ月)
債務整理に踏み切った理由:
友人に相談して
債務整理をした時期:2005年3月頃

住宅ローンが支払えなくて困っていた時に使った自己破産

薄紅薔薇さんは28歳でIT会社に勤める方とご結婚され、30歳で出産をして幸せな生活を営んでいました。

しかし、一戸建て住宅を購入して住宅ローンを借りてから、薄紅薔薇さん一家は壮絶な悲劇に見舞われることになってしまいます。

ある時、薄紅薔薇さんの夫の取引先に近いという理由で引越しをしますが、その時に一戸建て住宅を購入します。

その時に組んだ住宅ローンは約3,500万円。

夫の仕事は順風満帆でしたから、当然問題無いことのはずでした。

しかし、引越しと同時にリーマンショックが発生し、取引先3社が次々と倒産、夫の会社は生き残りましたが、業績は悪化してしまいます。

収入が減ってきてしまったため、更に銀行から約500万円の借り入れをすることに。

しかし、次男の出産や長男が起こした事故により出費はさらに増加する一方。

薄紅薔薇さんも働きますが、月収は7万円ほどで首が回らない状態に陥ってしまいます。

6年程度は何とか耐えてましたが、ついにローンが払えなくなりマンションを売ることを決意。

簡単にマンションをすぐに売ることもできず、生活保護を受けることになります。

ようやくマンションが売れましたが、生活は崩壊。

自己破産で借金は無くなりましたが、子供二人の育児や夫が躁うつ病にかかるなど大変な日々だったと薄紅薔薇さんは振り返られています。

最後には夫が自殺してしまいますが、その後は心の平穏を取り戻し、生活保護と遺族年金で今は次男と幸せな生活を送られているそうですね。

十年に一度の間隔でやってくると言われている経済危機・世界大恐慌。

リーマンショックでは、社会が一変するほど多大な影響を与えました。

自然災害と同様に避けようがなく、一瞬に生活が破壊されてしまい、薄紅薔薇さんのように家庭や生活が滅茶苦茶になってしまう方も沢山いらっしゃいます。

だからと言っていつ来るか分からない経済危機を恐れ、住宅ローンを組まない訳にもいきません。

債務整理は、こういった不測の事態に対して使える切り札と言っても過言では無いでしょう。

大切なのは普段からこういった知識を身に付け、備えておくことです。

生活保護を受けることになっても悪いことではないですし、寧ろ、薄紅薔薇さんのように幸せに暮らせている方も少なくありません。

最悪のケースを常に想定しておいて知識を蓄えておく、というのが生きていく上で大切な事ではないだろうかと思います。